2024.11.05
井上班の論文がNat Cell Biol. に掲載されました。
受精により全能性を獲得した初期胚の細胞は、徐々に全能性を失い限られた分化方向を持つ細胞へと変化して行きますが、その制御には様々な分化のステップで様々なメカニズムが関与していると考えられます。井上さんは、このメカニズムの解明に、卵子、エピジェネティクス、ポリコムなどをキーワードにアプローチを行い、研究をアクティブに進めておられます。今回のNat Cell Biolの論文の筆頭著者の松若さんは、井上さんがゼロから鍛え上げた井上チーム創成期のメンバーの大学院学生の一人かと思います。著者が3名しかいませんので、井上さんが個人レッスンを行い、それに松若さんがしっかり答えて力を発揮したのではないか、と推察しています。
卵子の成熟中にNoncanonicalな非常に幅が広いH3K27me3修飾が入れられ、これが受精後も胚盤胞期まで母性染色体で維持されることが知られていました。その一方で、胚盤胞期あたりからは多くの発生関連遺伝子群の発現制御領域にH3K27me3修飾が導入されます(Canonicalな修飾)。このCanonicalなH3K27me3修飾がどのような分子メカニズムで入れられるのか未知でした。井上さんたちは、2021年に、2細胞期以降になるとH2AK119ub1がポリコム複合体の典型的な標的箇所である発生関連遺伝子の制御領域に集積することを見出して報告しました(Mei et al. 2021 Nat Genet)。今回の仕事は、これらの結果をさらにもう一歩進め、H2AK119ub1からH3K27me3がどのように分子論的につながって、発生関連遺伝子群の制御領域にH3K27me3修飾を特異的に入れるのか、そのメカニズムについての新しい知見の報告です。技術的にspike-in CATCH-seqなど、より正確なサンプル間比較ができる手法が用いられています。
本論文では、まず、H3K27me3の前駆体であるH3K27me2の修飾状況を、allele specificに観察しました。卵母細胞から桑実胚までの詳細なH3K27me2分布解析の結果、8細胞期までは父性、母性染色体で非対称に分布していたH3K27me2修飾が、桑実胚では新規のH3K27me2確立が起こることで父母アレル対称の分布になることを突き止めました。さらに、発生関連遺伝子群を含む広範なポリコム標的領域において、2細胞期にH2AK119ub1が付与され、桑実胚においてH3K27me2、さらに胚盤胞からエピブラストでH3K27me3が付与されることを見出しました。以上の結果から、いわゆる典型的ポリコム標的遺伝子の制御領域の修飾が、H2AK119ub1→H3K27me2→H3K27me3という順番で確立されることから、最初に掲げた質問に対するおおまかな道筋が、この時点で見えてきました。
そこで松若さん達は、de novoのH3K27メチル化のメカニズムの解析を進めました。PRC2複合体構成因子の発現を詳細に調べたところ、H2AK119ub1への結合ポケットを有するJARID2(PRC2のサブタイプであるPRC2.2複合体に特異的なサブユニット)が、8細胞期あたりから顕著に蛋白レベルで上昇してくることを見出しました。桑実胚において、JARID2とSUZ12(PRC2共通のコアサブユニット)のクロマチン結合領域をCUT&RUN法を用いて調べたところ、それらの結合領域は非常に類似しており、典型的なポリコム標的遺伝子を含むCpG密度が高い制御領域に結合していることを見出しました。この領域は、桑実胚においてH3K27me2が確立される領域の中に含まれていました。そこで、Jarid2のKO桑実胚を作成し、Suz12のクロマチン結合やH3K27me2修飾分布を見ると、いずれも減少が認められるとともに、抑制されていた遺伝子の活性化が認められました。また、遺伝子発現制御領域へのH3K27me2修飾が、H3K27Acの修飾を抑制していることも見出しました。
次に、Jarid2のKO胚盤胞で、ポリコム標的遺伝子を含むH3K27me3修飾を調べたところ、これも広く有意に減少していることが明らかになりました。その一方で、H3K27me3修飾が完全に消失するわけではないことから、PRC2.2複合体に含まれるAEBP2(こちらもH2AK119ub1への結合活性を有するサブユニット)がJARID2の消失を補完している可能性を考え、Aebp2の単独KO、Aebp2/Jarid2のDKO胚盤胞を作成し、H3K27me3修飾を観察したところ、ポリコム標的遺伝子のH3K27me3はAebp2/Jarid2 DKOでほぼ完全に消失することがわかりました。このことから、着床前発生でのH3K27me2/3の新規確立にはPRC2.2が働くことが明らかになりました。
この論文では、雌の胚における父方由来X染色体(Xp)の不活性化に関わるH3K27me3修飾についても解析を加え、発生関連遺伝子と同様なメカニズムでH3K27me2/3が確立されることを見出しています。また、詳細は省きますが、Jarid2 KOとAebp2 KOのXpにおけるH3K27me3の蓄積パターンに興味深い違いがあり、JARID2はPRC2.2のXpへの“結合”に必要で、AEBP2は結合の後の“伸長”に必要であることも示しています。しかし、H3K27メチル化を減弱させても、H2AK119ub1があるために、父方由来X染色体が再活性化されることは無いようです。
以上の結果から、エピブラストで完成するCanonicalなH3K27me3修飾は、発生初期から、H2AK119ub1→PRC2.2→H3K27me2→H3K27me3という道筋を辿り完成するという結論が証明されました。
最後に、日本では不妊治療は自由診療で長く行われてきたという歴史もあって、不妊治療の現場で挑戦的な生殖工学技術にチャレンジし、挙児に成功した例が多々あるのは事実かと思います。一方で、技術を支える基礎的なメカニズムの理解抜きには、真の意味での安全性は担保されないと思います。松若さん、井上さんらの、初期発生におけるエピジェネティックな制御機構を一歩ずつ理解しようといる努力は、広く臨床医学、畜産の現場などの応用領域においても極めて大事な研究かと思います。
【質問】
1. 卵子の成熟過程で入れられた母方染色体のNoncanonicalなH3K27me3の消失はICMあたりのようですが、同時に今回のCanonicalなH3K27me3が入れられます。同じ核の中で逆のことが行われているわけですが、テリトリーの違いとか何か分かっていることはあるのでしょうか。また、CanonicalなH3K27me3が入る際に、Noncanonicalな領域をPRC2が認識されなくなるメカニズムなどは分かっているのでしょうか。
A. NoncanonicalなH3K27me3は、CpG密度の低い領域にも広がる広範なドメインで、大きさとしては100 kbから数Mbに及び、マウス卵には数千個のドメインが存在します。一方で、CanonicalなH3K27me3はCpG密度の高いCpGアイランド(CGI)に限局して形成されます。大きさは1 ~ 10 kbほどです。ちなみに哺乳類においては、全遺伝子の70%程度がプロモーター領域にCGIを持ち、ここが遺伝子発現制御に極めて重要な場となります。CGIプロモーターを有する遺伝子の多くは恒常発現遺伝子ですが、10-20%に対してはPRC1, PRC2が結合して転写抑制します。後者がいわゆる発生関連遺伝子群であり、細胞分化や器官形成時に必要に応じてオンオフがうまく調整されます。ちなみにNoncanonicalドメインとcanonicalピークが重複する遺伝子もたくさんあります。例えばFig 2aの”persisted” cluster geneがまさにそれですが、卵母細胞から胚盤胞まではドメインで覆われていて、胚盤胞以降はプロモーターだけのシャープピークに変化します。
CanonicalなH3K27me3が入る際にNoncanonicalな領域をPRC2が認識しなくなるメカニズムは分かっていませんが、細胞内のPRC2量は限られているようなので、あっちに行ったらこっちに行かなくなること(専門用語ではredistributionといいます)が起こっていると想像します。基本的にポリコームはCGIに強く結合するので、受精後CGIへの標的準備が整ったタイミングでPRC2はCGIへ集積して、noncanonicalドメインはおろそかになるのだと思います。準備というのはH2AK119ub1の蓄積だったり、何らかの拮抗要因の解除だったりだと思いますが、はっきりしたことはまだわかりません。
2. 技術的な質問です。一つの遺伝子をCRIPSRでKOする際に3種類のguide RNAを入れているようですが、(Aebp2/Jarid2 DKOの場合は6種類)確実にKOするという意味では有効そうですが、逆にoff-targetの可能性も増えるような気がします。その辺の塩梅はどういう考え方が良いのでしょうか。
A. この手法はTriple-CRISPRといいますが、仰る通りで、かなり目的を選ぶ実験系だと感じます。たとえば「機能不明の遺伝子XをKOしたら発生が停止した」みたいな、何次元下流の影響を見てるかもわからないような研究には使いづらいです(これはsiRNA等でのKD実験にも同じことが言えますが)。ただその場合でも、mRNA injectionで回復させれば良いとは思います。今回の研究は「PRC2 componentをKOしてH3K27メチル化を調べる」という一次的な影響を見ることに絞った実験だったので、許容範囲だと思います。Aebp2 KOとJarid2 KOでH3K27me3の分布に異なる影響が見られたことも、実験系の妥当性を支持する結果です。実際には父性X染色体を調べるのに亜種ハイブリッド胚でKOする必要があったので、本法以外に選択肢がなかったという感じです。実験デザインや結果の解釈に慎重さを要する実験系だと思います。
(横浜市立大学・大保 和之)
(回答:理化学研究所・井上 梓)
H3K27 dimethylation dynamics reveal stepwise establishment of facultative heterochromatin in early mouse embryos
Matsuwaka M, Kumon M & #Inoue A.
Nat Cell Biol. 2024 Oct 31. doi: 10.1038/s41556-024-01553-1. Online ahead of print.