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井上班の論文がNature Geneticsに掲載されました

2021.04.06

井上梓グループの論文がnature geneticsに発表されました。

Sydney Brennerの言葉と伝えられている「Progress in science depends on new techniques, new discoveries, and new ideas, probably in that order」が示すように、従来の遺伝学的生化学的な方法では解決困難なまたは観察不可能な問題に取り組むためには新しい技術・手法の開発が不可欠です。従来の手法を用いた解析からその存在が予測されている経路や分子を検出するためには、しばしば、新しい技術や装置が必要です。霧箱(cloud chamber)の発明(1897年)が多くの荷電粒子や放射線の発見をもたらし、物理学に貢献したように。さらに、ニュートリノの観測は霧箱では検出できないため、泡箱(bubble chamber)の発明(1952年)を待たなければならなかったように。

最近のゲノム・エピゲノム解析技術の革新的進歩により、解析の感度と精度、そして出力が飛躍的に上がっただけでなく、(超)微量エピゲノム分析技術(low-input epigenomic profiling techniques; 例、ATAC-seq, liDNase-seq, CUT&RUN, CUT&TAG, ChIL-seq等)が開発されてきた。このような時代の恩恵を最も受けるのが、細胞数が限られ、また培養細胞株を樹立することが困難な細胞や組織の解析、つまり、私達の研究分野である生殖細胞の形成機構や初期胚の発生機構の解析であろう。

井上さんはYi Zhangラボのポスドクであった時に、マウス卵子におけるヒストンH3K27me3修飾に依存した母性対立遺伝子(allele)特異的ゲノムインプリンティング機構を発見した(Inoue et al., Nature 2017)。これはDNA メチル化依存的な古典的インプリンティング機構とは全く異なる新奇の仕組み(非古典的/non-canonical)である。この発見を可能にしたのは、接合子(zygote)から母性前核と父性前核をそれぞれ単離し、liDNase-seqを用いて、対立遺伝子特異的なDNaseI高感受性領域(DHS)を決めたことであった。ここから、母性H3K27me3修飾が当該対立遺伝子領域のクロマチン凝縮を介して転写抑制することで、父性当該対立遺伝子領域のみが転写活性化されるという発見に繋がった(詳細は実験医学2021年4月号「世代を超えるエピゲノム」を参照)。

卵の成長過程において、Polycom repressive complex 2 (PRC2)がH3K27me3修飾を担っていること、さらに、胚性幹細胞においてはPRC2の上流にはヒストンH2Aのユビキチン化(H2AK119ub1)活性を有するPRC1が存在することから、非古典的インプリンティング分子経路にはPRC1-H2AK119ub-PRC2-H3K27me3という階層性の存在が予測されていた。今回、井上さん達はCUT&RUN法を用いた超微量検体からのエピゲノム解析を駆使し、卵形成から初期発生過程におけるH2AK119ub1の動態を明らかにした。その結果をふまえ、高いH2Aユビキチン化活性を有する非従来型PRC1(vPRC1)の母方欠損(Polycom group ring finger/PCGF 1&6 欠損)によって卵のH2AK119ub1を減少させると、マウス卵子ゲノム内の特定遺伝子座におけるH3K27me3が消失することを明らかにした。これは、一群のH3K27me3修飾がH2AK119ub1修飾に依存するという発見に繋がった。また、PCGF1/6 欠損卵由来の次世代では、初期発生過程においてH3K27me3依存的なインプリント遺伝子発現の部分的な破綻とXistの脱抑制によるX染色体不活性化異常、そして胎盤の過形成も観察される。このことは、卵子形成過程において特定ゲノム領域がH3K27me3修飾としてインプリントされることが世代を超えた (次世代の) 遺伝子発現制御に重要であることを示す。この発見は本研究の最も興味深い点の一つであり、私はエピゲノムの"Transgenerational inheritance"を証明する良いモデルにもなっていると思う。

Mammalian life, with all its complexity, comes from a beginning of a single fertilized egg cell――よくこんな文章で始まる論文を見る。でも、井上さんの一連の仕事は哺乳類の発生は既に卵子から始まっていることを改めて考えさせられる。私の率直な感想は「しかし、まあ、よくもこんなに次々に手を変え、品を変え、いろいろな仕組みを獲得したものだな〜」。教科書には、ヒト個体は同一ゲノムを有する約300種類の細胞から構成されると記載されている。最近のシングルセル解析はこの数が数倍または数十倍に膨れ上がることを早くも予見する。たった一種類のゲノム配列から実に多種多様な表現型を生み出す仕組みを担っているのがDNAやヒストンの修飾、つまり、私達がエピジェネティクスと呼んでいる研究領域の対象です。生物はゲノム配列の変化(つまり、遺伝学的変異)を伴わなくても変化でき、その表現型を(少なくともある一定期間)維持できる。したがって、生物はその表現型の適応と選択が起こることで、遺伝学的変異がなくても進化できる(おそらく、最終的には、genetic assimilationにより表現型は安定化される)。これはdevelopmental plasticityとか、phenotypic plasticityとかという言葉で表現されるが、明らかにダーウィン的進化論のドグマである「遺伝学的変異とその選択」に違反する。ある特定のヒストン修飾のクロマチン上の位置や程度が変化すれば表現型は変化する。しかも、このようなエピゲノム修飾の変化は必ずしも遺伝学的変異を伴わない。既に目も眩むばかりの多様なヒストン修飾が知られている。多彩なヒストン修飾を使い分け、それらを位置特異的にクロマチン上に配置する仕組みこそが個体発生の本質かもしれない。卵のヒストン修飾の変化が不可逆的に伝承されて次世代の発生や胎盤形成に影響するという今回の発見は、卵のエピゲノム修飾の変化を通して個体の適応と選択、つまり、進化が起こりうる可能性すら提示しているのではないだろうか? 

さて、最後に幾つか質問: 
1. 既に雄性生殖系列では特異的なPRCサブユニットであるSCML2がH2AK119ub1-H3K27me3の連続した修飾に重要であることが示されている。卵子形成過程においても雄のSCML2のように特異的に働くガイドがいるか?
2.H2AK119ub1に依存しないH3K27me3修飾の仕組みとその意味は?
3.DNAメチル化によるインプリントとH3K27me3によるインプリントを使い分けることでどのような利点があるのか?
(塩見春彦)

質問に対する回答:
1.SCML2はXYボディのマーカーであるリン酸化H2AXに結合するタンパク質として精巣から共免沈で釣ってきたようですので、卵巣からH3K27me3やH2Aubで落とせば何か釣ってこれるのかもしれません。理想は卵でクロマチン生化学ができるようになるといいですね。

2.H2Aubがなくても、転写が抑制されていればその領域のCpG island目がけてPRC2が来るのだと思っています。卵母細胞の転写を操作して伝承性H3K27me3を変化させる実験に取り組んでいます。

3.これは証明難易度が高いですが、重要な点です。H3K27me3はDNAメチルよりもlooseというか、消えやすいので、細胞系譜特異的なインプリンティング(H3K27me3インプリンティングは胎盤特異的)の制御に向いていたのだと考えています。つまり、胎盤だけでインプリントさせたい遺伝子はH3K27me3で、胎児でもインプリントさせたい遺伝子はDNAメチル化で、というわけです。
(井上梓)

「H3K27me3はDNAメチルよりもlooseというか、消えやすい」ということに反応し、以下に思いつきを少し述べます。たとえば、ヒトの卵はGV状態で(閉経まで)最長50年も生きている。しかし、トリゾミー等の染色体異常は女性の年齢が35歳をすぎると、急激に増える。H3K27me3修飾(または他のヒストン修飾)の低下(段階的消去)が“卵の劣化”を測る分子時計として機能しているのでは。

(慶応義塾大学・塩見 春彦)

H2AK119ub1 guides maternal inheritance and zygotic deposition of H3K27me3 in mouse embryos.
Hailiang Mei, Chisayo Kozuka, Ryoya Hayashi, Mami Kumon, Haruhiko Koseki & #Azusa Inoue
https://www.nature.com/articles/s41588-021-00820-3