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伊川班の論文がScienceに掲載されました

2020.06.05

伊川班の研究成果がScienceに発表されました。

多くの遺伝子が精巣上体(epididymis)でのみ発現していることが知られている。マウスではその遺伝子数は約75であり、その半数がシグナル配列を持つ膜・分泌タンパク質をコードしている。この観察結果だけでも、精巣上体が雄生殖能に重要な器官であることを示唆する。さらに、精巣で作られた直後の精子は泳ぐこともできず、受精能のない未成熟な精子である。精子は精巣上体を通過しながら成熟し、その成熟は精巣上体尾部において完了し、そこに蓄積される。マウスではこの成熟過程に二週間を要する。この事実は意外に一般には知られていない。一方、精巣由来の分泌因子により活性化される精巣上体上皮細胞と精子との相互作用が精子成熟化に不可欠であるというコンセプトは、既に1970年代から議論されており、この管腔を経路とする情報伝達はルミクライン(lumicrine)と呼ばれる。このような状況証拠の蓄積から、多くの研究者が精子成熟とルミクラインに惹きつけられ、どのように精子が成熟するのか、そして、どのような因子がそこに関与しているのかを理解したいと思ったはずである。ところが、意外に、精子成熟化研究は長らく停滞していた。このことは、おそらく、精子成熟化機構の研究が、今までにはない新しい手法を要求していることを意味する。自然科学では往々にして、新しい手法が新しい発見をもたらし、それが新しいアイデアを生む。特に、精巣由来の因子と、それによって活性化され、精子を成熟化させることに不可欠な精巣上体上皮分子の同定には新しい技術が必要である。伊川グループはこの問題の解決にトランスクリプトームデータ解析とゲノム編集技術を用いて挑戦してきた。

筆頭著者の淨住は、まず、精巣上体頭部(caput epididymis)において特異的に発現し、その分化に不可欠であるROS1というオーファン受容体型リン酸化酵素に着目し、精巣由来のROS1リガンドの同定を試みた。このため、マイクロアレイのデータから、精巣において精子形成過程で高発現される分泌因子をコードする9遺伝子を選択して、CRISPR-Cas9によるゲノム編集技術を用いて、それぞれの遺伝子ノックアウト(KO)マウスを作製した。この内、Nell2 (neural EGFL-like 2) KOの表現型がRos1 KOの表現型と類似していることが判明した。これらKOマウスはどちらも、精巣上体分化異常と雄不稔を示すのみならず、その精子が子宮卵管接合部(utero-tubal junction: UTJ)を通過できず、卵子透明帯に結合できない。NELL2は精巣(と脳)で発現しているが、精巣上体では発現していない。また、in vitro実験から、NELL2タンパク質は特異的にROS1に直接結合することも判明した。

精子がUTJを通過できず、卵子透明帯に結合できないという異常は、しばしば精子表面膜タンパク質であるADAM3のプロセッシング(切断による成熟化)異常により引き起こされる。実際、ADAM3はNell2 KOマウスの精巣上体頭部の精子においてプロセッシング異常を示す。淨住らは、このプロセッシングに関与するタンパク質分解酵素の候補を精巣上体頭部のトランスクリプトームから探索し、野生型では高発現しているがNell2 KO ではその発現が減少している2種類のタンパク質分解酵素、OVCH2 (Ovochymase 2)とADAM28、を同定した。この探索ロジックの背景は、Nell2 KO ではERK1/2シグナル伝達系の下流に位置する転写因子の発現が抑制されているという事実である。それぞれのKOマウスを作成した結果、Ovch2 KO雄は不稔であり、その精子は、Nell2 KOと同様に、UTJを通過できず、卵子透明帯に結合できないだけでなく、ADAM3のプロセッシング異常を示した。

これらの成果は、精巣で精子とともに発現するNELL2が精巣上体頭部でROS1を介して精子が成熟するために必要なタンパク質分解酵素OVCH2を誘導し、正しく精子表面のタンパク質(ADAM3)がプロセッシングを受けるために必要であることを明らかにした。多くの研究が、単に遺伝子KOマウスを作製して、遺伝子と生命現象を結びつけるだけのものが多い中、この研究では精巣で作られた精子とともにNELL2が精巣上体に向かい、次の組織で精子を成熟させるというルミクラインという現象まで証明した、つまり、1970年代から多くの研究者を魅了し、一方で悩ましてきた重要な問いに一つの答えを出した非常に素晴らしい成果である。

伊川グループでは精巣で特異的または高発現する約250遺伝子に関して既にKOマウスを作製しているらしい。このリソースと今回の仕事の質を鑑みるに、世界中の研究者は精子機能に関する遺伝子の解析から手を引かざるを得ないのでは。つまり、伊川さんにまかせておけば大丈夫!

さて、最後に、私の素朴な疑問: 精細管における精子形成過程だけでも極めて複雑であり、内腔に放出された一見成熟したように見える精子が、なぜ、ルミクライン因子とともに移動しながら精巣上体において成熟する必要があるのか?これにはダーウィン的進化を考えた場合、どのような利点があるのか?とにかく、まずは精巣上体まで移動することができるかどうかで精子の良し悪しを篩いにかけ、選択しているのか?それだけ、精子には不良品が多いということか?一方、ルミクライン因子が精巣上体に移行(拡散)するための“流れ”は何がつくっているのか?単純拡散、繊毛、それとも精子におんぶにだっこ?
(塩見春彦)

 

疑問に対する回答:

1.精巣上体は3週令には成熟し始めるので、精子より先にルミクライン因子が精巣上体にいきます(生殖管は外分泌なので、基本は一定のフローで押し出されると考えています)。精巣上体がプロテアーゼを分泌するので、基質(精子)が無いところで、プロテアーゼをガンガン分泌するのは組織的に良くないのかもしれません。精巣上体が分化したころに、遅れて精子がやってきます。(先に電話しておいて床屋に行って、綺麗にした後、デートに出かける感じ)上手くできていますね。

2.もしかすると精巣上体での成熟のバラつきが、精子の運動性や寿命、受精しやすさのバラつきなどを生むのに効いているのかもしれません。ダーウィン的には、交尾で射出された精子は、排卵を待たないといけないので、populationにバラつきがあった方が有利に思われます。精子形成の均一さでは生み出せない、バラつきを与えている?

雌にもあるんじゃないかとか、生殖以外にも効いてないか、妄想が広がります。
(伊川正人)

Science 2020:368(6495)1132-1135.
NELL2-mediated lumicrine signaling through OVCH2 is required for male fertility
Kiyozumi D, Noda T, Yamaguchi R, Tobita T, Matsumura T, Shimada K, Kodani M, Kohda T, Fujihara Y, Ozawa M, Yu Z, Miklossy G, Bohren MK, Horie M, Okabe M, *Matzuk MM, *Ikawa M.